
もとちのレッスルエンジェルス同人活動はここから本格化したといっても過言ではない。
当時は個人サークルとして活動し、もとちも若かったので、イラスト・漫画・4コマ・コラム・企画ものなどの、中身の9割は自分の手によるもので、個人誌体裁であった。
発行は94年だが、作成準備に取りかかったのは93年からで、中身はレッスルエンジェルス3が中心。
まんべんなくかなり沢山のキャラを描いてはいるが、やはり当時好きだったサイトー君とちーちゃんが多め。
今ではスッカリもとちのレッスルファン本ネタの定番となっているブレード上原師匠と大高(皆川…もとち内では同一人物認識)のどつきあい漫画も、スデにこの本からスタートしている。
同人活動としてもかなり熱が入っていた時期だったので、個人的には内容と完成度は一番の出来で、個人のレッスルエンジェルス関連作成物としてはいまだにこの本を超えたものは出来ていない。
当時のエピソードとして、もとちは「永原」を「え~げん」と詠んで、団体経営を扱った漫画の中でも社長に台詞で彼女をそう呼ばせていた。
この本をレッスルの制作会社グレイトのプラム開発室に送った所、お返事を頂いて、ファンとの窓口を務めていたプラム開発室のえみ某さんから「ながはらと詠むのですよ」と指摘を受ける。
その頃の同人誌即売会・コミックマーケットはスペース落選時の救済措置というものがなかったので、もとちは5年間、延べ10回連続で落ち続けた。
よって、この本も正規のブースでは一度も出展はしておらず、レッスルサークルを回ってスペースに居る方に配布したり、後に発行した本に添えるなどして、その殆どを無料配布で終わっている。
当然ハネコさんはまだ出ていない。