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2009年6月

映画「レスラー」を観て

先日、三沢選手が不慮の事故で亡くなり、ファンを含むプロレス界全体にさまざまな影響を与えています。

正直に書きますと、もとち自身は生前の三沢選手の熱狂的ファンという訳ではなかったのですが、それでも今回の事件には色々と考えさせられる部分が多く、今もプロレスに対する想いが頭から離れません。

今回の事故について思う事や、三沢選手への追悼はすでに他の複数のコンテンツ(場所)でしていて、あちらこちらで追悼、追悼とクドクドと書くのは個人的にはどうかとも思うので、このブログではここまでにします。

三沢光晴選手のご冥福を。

そしてこれからのプロレス界が一体どうなるのか、天で見守っていて下さい。

さて、今回は観戦レポートではなく、「レスラー」という映画を観て来ましたので、その感想を簡単に。

「ビヨンド・ザ・マット」というWWE所属・または過去に所属していた数人のレスラーをとり上げた、プロレスファンなら観た方も多いだろうドキュメント映画があります。

この「ビヨンド・ザ・マット」はレスラーのアンダーグランド部分を扱ったノンフィクションのドキュメント映画ですが、今回の「レスラー」という映画は大雑把に言えば「ビヨンド・ザ・マット」のフィクション版と言った所です。

実際「ビヨンド・ザ・マット」に影響を受けてシナリオを書かれていると思われる部分も見受けられます。

映画の内容(あらすじ)や個々のシーンについて、もとちはここではとり上げることはしません。

純粋に感想のみを以下に書きます。
(あくまでもとちの感想を素直に)

まずプロレスファンであれば一度は観るべき映画だと感じました。

その上で「良い映画か?」と言われればNO。

「感動するか?」と言われればNO。

「泣ける映画か?」と言われればそれも違う。

ミッキー・ロークの演じる主人公、ランディという一人の「プロレスラー」の「プロレスラー」としての「生き方」を描いているけれど、もとち自身はランディーの「プロレスラー」としての「生き方」と「選択」は「間違っている」と思うし、実在の「プロレスラー」達がこの「生き方」を「選択」してはいけないと思う。

また、現状こんな「生き方」をしている「プロレスラー」も少なくはない(多い)のかも知れないが、この先「プロレスラー」達がこんな「生き方」を「選択」しないですむプロレス界であってほしい。

確かに、レスラー本人はリングの上で戦って死ねれば本望なのかもしれない。

自分の「居場所」も自分を迎える「家族」も「そこ」にしかないのかもしれない。

「プロレスラー」としての「生き様」をリング上で魅せることで、それをファンの胸(心)に刻みつけ、伝説になったりカリスマにもなるのかもしれない。

…でも…そうであったとしてもだ。

…想像するのも恐ろしいが…。

「もし」いま現役の「プロレスラー」達すべてがこのランディーと同じ「生き方」の「選択」をした(またはしなければならない)としたら…。

だからファンはランディーの「生き方」と「選択」を否定しなければいけない。

「NO!」と言わなければならない。

もとちはそう思った。

つねに「死」と隣り合わせの危険な場所でファンを魅了するレスラーと、「死」を否定しつつも死闘に魅了されるファン。

「プロレス」とはそんな「矛盾」が渦巻いた不思議な空間。

とにかくいちプロレスファンとして色々と「考えさせられる」映画であった。

それは確かだ。

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